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法政大学経済学部同窓会事業・行事案内>特別事業(平和記念碑)
事業・行事案内

特 別 事 業 ・ 平 和 祈 念 碑
 1996年度特別事業として、太平洋戦争終結50周年に際し、後世に語り継ぐメッセージとして「平和祈念碑」を多摩キャンパス経済学部校地内に建立しました。

〔 碑 文 〕

多くの学生が業なかばにして
軍や工場に動員され
学園と学問を放棄せざるをえない
不幸な時代があった
50年前のことである
君たちは決して
そのような青春を送ってはならない

  1995年8月
法政大学経済学部同窓会

今こそ語り継ぐ悔恨の思い
(1996年5月20日発行・同窓会報第8号より転載)

記念碑除幕式 「平和祈念碑」万感の除幕式 経友会など300余名が参加
 戦後50年の節目の年に「平和記念」の碑を建てようと決め、建立特別委員会を発足させてから半年足らずの1996年3月8日、記念すべき除幕の式典が多摩キャンパス経済学部棟の入口、芝生の広がる三角地帯で行われた。当日は前夜来の雨もあがり、曇り空で寒さは厳しかったがまずまずの日和だった。12時過ぎから同窓会メンバーが続々と集合、定刻の1時には参加者は、下森総長はじめ大学関係者、八王子市、町田市など地方自治体、校友会などを含めて300名余に達した。

レクイエム流れる中で
 除幕式は根上淳特別委員長の経過報告と募金への感謝の言葉で始まり、除幕は神阪昂哉同窓会会長、下森定法政大学総長、村串仁三郎経済学部長によって行われた。三氏が紅白の紐を引くと、高さ3m、幅3mの巨大なモニュメント「平和祈念碑」が姿を現す。モーツァルトのレクイエムが流れるなか、期せずして拍手が巻き起こり、平和の鳩が空中高く舞い揚がった。会場からは思わず「写真よりはるかに素晴らしい。立派なものだ」という声が聞こえてくる。
 三つの自然石の組み合せには「不安定な形は、平和を維持する難しさを象徴している。みんなが大事にしなかったら平和は守れない」という思いが込められている。碑の前には、ステンレスの板に碑文を英語、中国語、ハングル語に翻訳したものを配し、留学生を意識したものにもなっている。碑の後方には、もう一つの石があり、募金者全員の氏名が50音順に刻印される予定になっている。
 根上平和祈念碑建立特別委員長は、あいさつの中で「50年前は軍事教練が一番重要な教科だった。そして学業半ばで学徒動員され貴重な青春を犠牲にした。あの痛恨の思いを歴史の中に風化させず、後輩たちに語り継ぐべきメッセージとして何か残したいというのが発端だった。同窓会のメンバーだけでなく一般の方々まで協力していただいた。まさにこの祈念碑は平和に対する皆様の熱意の賜物」と語り謝意を述べた。

記念碑 語り継ぐべきメッセージを−根上特別委員長報告(要旨)
 顧みまして、今から50年前の法政大学は、さながら戦士の養成所という状況でありました。校庭はもちろん、旧代々木練兵場および今の自衛隊が使用している富士山麓での軍事教練が一番重要な科目でした。その荒涼たる大学から、多くの学生が、学徒動員・勤労動員という名のもとに、学問をなげうち、貴重な青春を犠牲にしていったのであります。
 あれから50年、いまや戦後世代の人口が国民の過半数を越え、平和と飽食のなかで、あの戦争の真実がまだ不十分にしか解明されないままでいます。そして歴史の中に埋没して行こうとしています。
 この現実のなかで、法政大学経済学部同窓会では、戦後50年の区切りの年を迎えて、「今こそ事実を風化させることなく、後輩たちに語り継ぐべきメッセージを残さなければならない」という声が盛り上がり、この「平和祈念碑」の建立が計画されました。
 同時に、同窓会会員各位に、この主旨を呼びかけしましたところ、まことに大きなご理解とご協力をいただくことができ、本日、このように立派な「平和祈念碑」を完成させることができました。ありがとうございました。

学窓を巣立つ若い人たちに−神阪昂哉会長あいさつ
 幹事会で、戦争終結50年の大きな歴史の節目に、何かこの戦争の悲惨さを語り継げる方法はないものだろうかが話題になっておりました。討議の結果、平和の尊さと、この貴重な体験を再び繰り返さないためのメッセージを若い後輩たちに贈ろうではないか、ということになったわけです。経済学部の卒業生は約8万人といわれますが、この大半は戦後に生まれ育った方々であります。年齢ギャップのほかに価値観の相違もありますから、正直に申し上げて、この企画に賛同を得て、基金の拠出にご協力がいただけるか大変心配をしていました。
 ところが、特別委員会を設置し、根上さんが委員長になられ、特別委員を決めたところ、熱心に努力されまして、予想以上の反響と沢山の浄財を賜り、本日の建立にこぎつけました。特別委員の方々、ご出席の皆様方、本日ご出席されなかった関係者の皆々様、あるいは法人の方々に改めて御礼申し上げます。これから後、この祈念碑は、法政大学経済学部の前に燦然として輝き、常に戦争の悲劇を繰り返さないことを呼びかけるものと信じております。
 最後に、大学ご当局と大学の先生方にお願いがあります。それは、祈念碑がここに建立された経緯と先輩たちの心情を、学窓を巣立つ若い人たちに伝え、平和日本の建設の一翼を担う素晴らしい学生にしていただきたいということです。このことは、私たち企画に携わった者の一致した念願であり、期待であります。

記念碑 根上さんのざっくばらん報告
 祝賀会で乾杯が済んだ後、根上委員長が「フォーマルでない」経過報告を行った。

まず、特別委員に感謝
 昨年(1995年)の6月頃だったと思います。終戦50年を何かの形で残しておくものを作ろうと、ここに集った方々が特別委員になり、「これが良かろう」というものが出るまでかなりの時間がかかりました。皆さんありがとうございました。

なぜ経済学部だけでやったか
 経済学部だけにこだわりはなかったが、3月までにはどうしてもやりたい。そうすると経済学部だけでやるしかなかったのです。それに戦争中にはなかった学部もあります。本当は大学全体でやりたかったが、それは無理、「経済学部だけでもできるよ」と見切り発車、実に恐ろしい始まり方をしたのです。

資金のメドが立つまで夜も眠れず
 お金の面で「これは行ける」とメドが立つまで、私は夜も眠れませんでした。もし本当にお粗末なものしか作れなかったら、金が集らないことよりも、同窓会自体の真価が問われるということがあったんです。3月8日現在、742名の方が募金に応じてくれました。現在4000名の会員がいるのですが、その中の5人に1人が呼掛けに対応してくれたことです。
 「同窓会で何かやるんだったら金を出すよ」という人がこれだけいたことは、同窓会の本質的な問題だと思うのです。それだけ同窓会が動いているということです。金が集ったことも嬉しいけど、800人近い人が呼掛けに応えてくれたことが嬉しかったのです。

ステンレス板に氏名を刻印
 既に800万円を越す募金が集りました。これは同窓会が生きている証拠です。とかく法政の学生は、大学を卒業すると大学の方を向かないという評判があるのですが、立派に800人の人は学校の方を向いていたのです。
 さて募金に応じていただいた方の名前を留めると最初に約束しました。すでにお気付きかと思いますが、あの碑の左側にもう一つの石があります。あの石に、氏名を50音順に刻印したステンレス板を取り付ける計画です。碑の周囲には、多少の植裁もしたいと思います。

平和を維持する難しさ
 碑文の書を書いていただいた青柳志郎先生と碑の制作をしていただいた斎藤徹先生をご紹介します。あの碑は当初、斎藤先生が5つくらい案を作ってくれました。その中に「あ、これだ」というのがあったのです。というのは、あの碑自体が非常に不安定な形をしていると思うんです。平和というのは、不安定ななかに大事に守っていくものだと感じたんです。

専門家に頼んでよかった−建立うら話−
 建立特別委員といっても碑のデザインなんてやった人はいない。何軒かの石屋さんに平面図、立面図をいくつか見せてもらったが、どれも墓石のイメージが強くていただけない。われわれは忠霊碑を造るのではない。
 ホトホト困っていたある日。常任幹事で行動美術協会の星野和雄氏が「それは芸術家に頼むべきですよ」とおっしゃる。これはナットク。
 梅謙次郎先生の胸像を造られた彫刻界の重鎮、建畠覚造氏、さらに氏の愛弟子、斎藤徹さんを紹介していただくことになった。
 斎藤さんと同道して多摩キャンパスで、場所や方角等を決めたのは11月下旬だったろうか。斎藤さんから、いくつかのプランが送られてきたのは、それから10日ほどたってからである。委員会が、プランのなかから決定したのが現在の碑である。
 斎藤さんは、早速、福島県の相馬まで石を探しに行かれた。この先は素人の出る幕ではない。斎藤さんにお任せである。そして威風堂々、総重量15トン。ジョイント部分には、直径6センチのステンレスの丸棒を、6本使用した碑が3月8日に完成した。星野氏の忠告に従って良かったとしみじみ感じている。