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法政大学経済学部同窓会>同窓会特別講座>粕谷信次教授
『社会的企業が拓く市民的公共性の新次元−持続可能な経済・社会システムへの「もう一つの構造改革」−』増補改訂版(時潮社 , 2009年5月)2006年秋、本書の初版が出たとき、村串先生から学部同窓会のHPに紹介を載せないかと声を掛けて頂きました。しかし、アレコレ取り紛れているうちに時宜を失してしまいました。幸い、昨年初夏、出版社から重刷の話しが出た際、一章を設けて、増補改訂版にしたらどうかと誘われました。考えているうちに、アレヨアレヨという間に、「百年に一度の金融・経済危機」が目の前で進行し始めました。本書の趣旨が、「持続可能な経済・社会システムへの『もう一つの構造改革』」である限り、いまこそ、これをより大胆に提起するときであると意を決しました。 そこで、『経済志林』(Vol.76 No.4 , 2009年3月)に、「社会的・連帯経済体制の可能性」と題して、社会的経済、あるいは連帯経済(営利を目的としない、国家からも独立した民の協同組織)と呼ばれる第三のセクターを基盤にした経済・社会のマクロ像の骨格を描出しました。その論稿を初版に追加して〔増補改訂版〕と銘打ったのが本書です。 増補編 序章 社会的・連帯経済体制の可能性 本 編 I部 社会的企業促進に向けて「もう一つの構造改革」(1章〜4章) II部 補遺 社会科学の揺らぎと近代西欧パラダイムの転換(〔1〕〜〔3〕) 本編II部の補遺は、私の経済学に対する考え方を論じたものです。補遺〔1〕の「経済学の危機は如何にして克服しうるか」は、四半世紀前の旧稿ですが、今日の私の出発点となったものです。ケインズは、「自由放任の終焉」を叫び、「市場の失敗」を国家が補正する基礎づけを行ない、「経済学第一の危機」を克服し、両大戦間の危機から資本主義を不死鳥のように蘇らせました。しかし、その資本主義も、1960年代末、スタグフレーション(インフレとデフレの共存)に逢着して、ケインズ経済学もお手上げになってしまいました。ジョーン・ロビンソンは、これを「経済学第二の危機」と呼びました。 このとき、本来なら、経済学批判としてのマルクス経済学は、逆に元気になって然るべきでしたが、じつは、やがて社会主義圏の崩壊となる、さらにひどい危機状態に陥っていたのです。「宇野経済学」から出発した私としては、主として、マルクス主義や宇野経済学についての自己批判を通して、「経済学の危機は如何にして克服しうるか」を考えざるを得ませんでした。その結論を一言でいえば、「プロレタリアート」という全能の階級主体による国家権力奪取に社会変革の道筋をみるのではなく、われわれの具体的な命と暮らしの営みのなかから人びとが活き活きと生きるためにあげる声と行い(「新しい社会運動」がそれらを象徴する)を基盤にしたものでなければならない、ということでした。補遺〔2〕、〔3〕は、それをさらに展開したものです。 本編Iの諸論稿は、このような見方に立って、国内外の世界をみた現状分析編です。たしかに、ケインズ的国家の失敗のあと、その反動のように、資本蓄積を国家の重荷から解放すべしとする新自由主義がグローバルに広がりました。そして、ケインズ革命以前の、蓄財への野蛮さを取り戻した資本主義は、世界中で社会的統合に亀裂を生じさせ、また、人々の命と暮しそのものを支える大地との共生をも危機に陥れました。 しかし、他方で、むしろ新自由主義の跋扈ゆえに、それに抗して、「新しい社会運動」の有力な一環として、人と人との直接的な結びつき・連帯を資源とする社会的経済、連帯経済、社会的企業などと多様な名前で呼ばれるさまざまな事業アソシエーション群(NPO、協同組合、共済、基金など)の台頭がグローバルに見られはじめました。私は、ここに新たな社会変革主体形成の展望をみたのです。 しかし、その広がりは、なお、決定的に不十分です。とりわけ日本の政治土壌では、公益−官、私益−営利企業という官・民の二分法が牢固として残存し、民がつくる社会的公共空間という認識が決定的に不足しています。そこで、本編Iでは、その飛躍的促進の方途を模索しました。 ところが、「百年に一度の金融・経済危機」が広がり、「新自由主義の終焉」を自ら告白するかのように、市場至上主義を180度覆して、再び国家が前面に出てきました。しかし、それも今までのような国家―すなわち、人びとが参加しつつ、つくった自分たちの国家(公共性)ではない国家―では、また、スタグフレーションを招くなどの失敗を免れないでしょう。ニューディール改革より、社会のより深部からの改革が必要なのです。その改革こそ、社会的・連帯経済を飛躍的に促進し、それとの連携・連帯による、暴走しない市場への市場改造、人びとの国家につくり変える国家改造こそ、私のいう「もう一つの構造改革」に他なりません。その例解として、(1)「就労・福祉ニューディール」―新しい働き方の創出―と(2)農業再生をコアとする「日本版・グリーン・ニューディール」という、二つのネオ・ニューディールを提起したのが増補編なのです。 (2009.8.23)
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