特別講義 『経営にとって「言葉の重み」』
村田紀敏(セブン&アイ・ホールディングス顧問・前社長)

 

特別講義 『経営にとって「言葉の重み」』

(この特別講義は、文中にもあるように、去る11月12日におこなわれた法政大学経済学部同窓会創立25周年記念の「ホームカミングの集い・祝賀パーティ」の1部で行われる予定になっていた村田紀敏氏の「卒業スピーチ」の元稿で、氏がやむおえな事情で、「集い」に参加できなくなったので、代読するために記されたものである。結局、代読されなかったので、同窓会ホームペジに掲載することになった貴重なスピーチである。編集部)

法政大学創立25周年おめでとうございます。
私は、1966年に経済学部を卒業し、それから51年を経て現在に至っていますが、当会には実は25年目の今年入会が許されました。
この会が発足した25年前は、日本経済の「バブル景気」が終焉し、その後デフレ経済へと突入し「忘れられた10年、20年」と言われる困難な時代を迎える事となった時です。この様な時に卒業生が団結し「頑張ろう」と先を予見し創立されたのではと、創設者の人達に敬意を表します。
短い時間ですので、今日お話ししますテーマは、経営にとって「言葉の重み」です。
社会人としてスタートに胸を轟かせていた21歳の夏、「内定取り消し」に逢いました。このことは私の生涯にとって大変幸運なことでした。再就職活動を行い、新たに工場新設の為、募集が出た大手鉄鋼会社の子会社に入社でき、経理部門に配属されました。
親会社から出向してきた工場診断課長から工場診断の新人研修を受けました。駅弁スタイルに白紙一枚渡され、工場の片隅に一日中立たされ、「気づいた事」を白紙に書きなさいと指示されました。初めは特に書けるような事に気づくことはありませんでした。
その様な時に、課長から「村田、工場に何時から立っている」と聞かされ、「9時です」と言いますと、バカ者と叱られ、「工場は何時からだ」、「8時です」。そして8時前に出勤して、そこで見たことは、始業前に班長さんが機械を叩いている姿でした。
その意味が何故なのか分からず紙に書きました。課長からは「わからなければ聞け」と怒られ、しかし作業中の班長さんに聞いても22歳の若造にはすぐには教えてくれません。
そこで工場の作業が終わり、風呂場で汗を流している班長さんの背中を流しながら聞きました。「機械はその日の温度や湿度で微妙に変化する、不良品が出ないように調整している」と教えてくれた。
この事を課長に報告すると、「村田、よいところに気づいた。現場の創意工夫で不良品の比率が低くなる。お前はこれから数字を扱う仕事につくことになるだろうが」と言われ、この時に与えられた言葉が「数字の後ろに人がいる」でした。22歳の若き日にこの言葉に出会えた事は、その後の私の人生にとって幸運な事でした。そして「気づき」の大切さを教えていただいた。
その後、社会人として多くの言葉に出会い成長させてもらいましたが、年老いてその本当の意味を考えさせられた言葉があります。それは、その後「イトーヨーカ堂」に転職しであった言葉、社是「誠実と信頼」です。
私は、若い頃は「誠実」を「真面目で嘘のない、真心をもって人や仕事に接する事」と思っていた。それによって人から信頼される人間になれると。このことは間違ってはいない大事な考えと思います。
しかしその後、経営者になって多くの人達を使う立場に立ち、その人達の生活に責任を負い、また株主の要求に責任を持つ立場から「真面目で嘘のない、真心をもって」は大事だか、それで経営責任を果たせるのか、そして企業を成長させる事が出来るのか、と考えた。
そんな時に出会った言葉がありました。それは昔(1972年)当時の田中首相が「日中国交正常化」交渉で周恩来首相から贈られた言葉です。
「言必信、行必果」。これは孔子の言葉です。〔言った(約束した)ことは、必ず実行する、ならば人は信用される。行ったことは、必ず最後までやり遂げ成果を出す、さすれば人は信頼される。〕
この言葉は上から目線の言葉ですが、人は本当に信頼されるには「実績をもって」です。経営者(リーダー)としてリーダーシップを発揮出来るのは、実績の裏付けがあって、吸心力ができ、その求心力こそがリーダーシップの源泉となって全員の力で成果を作り出すのです。「誠実と信頼」は正に「言必信、行必果」そのもの。経営にとって重要な言葉です。そして「誠実と信頼」の真の意味を体現した人に出会えたことは私にとって幸運なことでした。
いま世界は、「IoT」、「AI」と言われる第4次産業革命へと進んでいます。そのスピードは、今迄私達が経験したことのない速さで、人類に変革をもたらすことでしょう。それが私達に幸福をもたらすかは、政治と企業経営者の双肩にかかっています。しかしこのような時に、日本の経営が劣化している姿に「憂い」を感じます。
この度ノーベル経済学賞を受賞されたセイラー教授の受賞理由が「経済学と心理学の統合」です。今迄、経済学では「人は合理的で、自己利益追求に行動する」と教えられてきましたが、成熟社会では、「人は心理に重きを置いて、ヒューマンタッチに反応して行動する」と提唱しています。この考えは「お客様の立場に立って考える」と言う、セブン&アイグループの経営方針そのものです。今、日本の経営が劣化している原因を考えますと、経営者が自らの地位に固執し、変化に対してチャレンジを怠り、消費者心理に寄り添って来なかった為と考えています。
最後になりますが、法政大学に素晴らしい「校歌」があります。そしてその中に「進取の気性、質実の風」の言葉があります。私にとって「校歌、そしてこの言葉こそが、法政大学へのアイデンティティなのです。
以上で「経済学部同窓会25周年記念」への、私からのメッセージとさせていただきます。本日は皆様にお会い出来ず残念ですが、近い機会にお目にかかれますことを楽しみにしております。

(2017.11.26)

 

 

村田紀敏氏 村田紀敏氏略歴

1944年2月、横浜市で出生、東京都出身
1959年3月、文京区立第六中学校卒
1962年3月、法政一高卒
1966年3月、法政大学経済学部卒
1966年4月、大径鋼管(株)入社
1971年10月、(株)イトーヨーカー堂入社
1990年8月、同社取締役就任(企画室長)
1996年8月、同社常務取締役就任(販売事業部長)
2003年8月、同社常務取締役CFO(経理財務責任者)就任
2005年9月、(株)セブン&アイ・ホールディングス設立、初代社長に就任
2016年5月、同社顧問に就任